ラッフルズ 1887
パリは恋人たちのための街と言われます。アメリカの歌手・作曲家レイ・チャールズの場合もそうでした。パリジェンヌの恋人、アルレット・コチュニアンは、写真家兼歌手・作曲家で、彼の12人いる子供のうち1人の母親でもありました。
パリを愛したレイ・チャールズは、1960年代初頭から2004年に亡くなる直前まで、定期的にこの地で公演を行いました。コチュニアンと出会ったのも、公演で訪れたときのことです。のちにコチュニアンはLe Royal Monceauを彼に紹介し、その後10年以上にわたって、レイ・チャールズがパリに訪れた際に2人が過ごす場所となりました。
広さ118平方メートルを超えるレイ・チャールズ スイートは、彼の死後数年経ってから作られました。コチュニアンはホテルに招かれ、かつての恋人のイメージが映し出されたスイートにするためにベストな方法を検討しました。Le Royal Monceauでのレイ・チャールズの姿を捉えたプライベートな写真を何枚か飾ることにしたのは、彼女のアイデアです。スイートに置かれたプレイエルのグランドピアノも、彼女の提案によるものです。優れたピアニストであったレイ・チャールズがピアノを習ったのは、7歳で失明するまでのわずかな期間でした。彼は点字で楽譜を読み書きし、キーボードには点字シールを貼っていました。
レイ・チャールズがフランスを愛したように、フランスも彼を愛しました。1986年には、彼の「ジャズへの貢献、フランスでの200回を超える公演、そして生きる喜び」に対して芸術文化勲章とヴィクトワール音楽賞(フランス版グラミー賞)の2つの名誉ある賞が授与されています。
2002年にパリ・ジャズ・フェスティバルで演奏したのが、彼が「生きる喜び」をパリに伝えた最後の機会となりました。レイ・チャールズ スイートは、Le Royal Monceauが今も「天才」と呼ばれるアーティストに向けて贈る、終わりのない賛辞です。