Raffles London at The OWO - United Kingdom
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ホワイトホール周辺を散策

ホワイトホールは、ロンドンの一画にある、豊かな歴史にまつわる奇妙な出来事に溢れた街です。書籍『The OWO』の共著者であるクライヴ・アスレットが、その素晴らしい宮殿や壮麗なモニュメントを徒歩で巡るツアーに私たちを案内します。そして、旧陸軍省から徒歩圏内のお気に入り観光スポットを20か所ご案内します。

The OWOの豪華な大理石の玄関から一歩外に出ると、ヨーロッパでも最も有名な建築物の数々が目に入ってきます。ホワイトホールの片側の突き当たりには国会議事堂とウェストミンスター寺院があり、反対側にはネルソン記念柱のあるトラファルガー広場があります。建築物が密集した場所でもあり、ロンドンのこの界隈の深い歴史がその様子を物語っています。

目の前の景色から走る車やバスを追い払って、心の目でチューダー朝時代に戻った世界を想像してみてください。そこまで時代を遡らなくとも、ウェストミンスターがシティ・オブ・ロンドンから移転してきた頃を想像してみましょう。広大な敷地と公園には、ウェストミンスター宮殿(正式名称は英国国会議事堂)、セントジェームズ宮殿、そしてホワイトホール宮殿という3つの王室宮殿がありました。ウェストミンスター宮殿とセントジェームズ宮殿は今もなお現存しています。その中でも最も大きく広大なホワイトホール宮殿は、17世紀後半に火災で焼失。宮殿の再建を考えていた国王で、メアリー女王と結婚したオランダ王子ウィリアム3世は、喘息持ちであったことから、空気のきれいなケンジントンに宮殿を建てました。

今日、ホワイトホール宮殿で残っているのは、The OWOの隣にあるイニゴー・ジョーンズ作のバンケティング ハウスだけです。ここは、ジェームズ1世とチャールズ1世の宮廷での娯楽のために建てられた喜びの殿堂です。ルーベンスが描いた天井画にはジェームズ1世が描かれています。チャールズ1世は、バンケティング ハウスの窓から、生前最後の散歩に出かけました。そして、暴徒に狙われないよう、重厚な装いに扮した処刑人が、王の首を落とす処刑場へと踏み出したのです。今日、勇敢でありながら無力なその王は、トラファルガー広場の南側にある台座からホワイトホールを見下ろす優雅な騎馬像として、皆に記憶されています。

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当時のロンドンは小さな街でした。政治家や宮廷人は、宮殿から宮殿へと数分で移動することができました。その後数世紀の間に多くの変化がありましたが、この街は今でも散策に最適です。だから私はここに住んでいるのかもしれません。私は散歩が大好きで、私が生まれる遥か昔に想いを馳せながら、この土地の豊かな歴史や奇妙な出来事を楽しんでいます。ではここからは、私の好きな場所をシェアしたいと思います。

ロンドンを訪れる観光客なら絶対に見逃せないのが、ウェストミンスター宮殿です。この宮殿は、1834年の火災後に大部分が再建されました。多くの人に誤ってビッグベンと呼ばれていますが、ビッグベンとは実は塔ではなく、最も大きな鐘の名前です。かつてはクロックタワー(時計塔)と呼ばれていましたが、2012年のエリザベス2世のプラチナ・ジュビリーを機に、エリザベスタワーと改名されました。この鐘は、ロンドンの象徴として国際的にも知られています。エリザベスタワーの隣には、さらに昔に建造された建築物が残っています。それは、征服王ウィリアムの息子ウィリアム2世が、1099年にフランスからやって来て開いた宮廷、ウェストミンスターホールです。当時、ヨーロッパにはおそらくこれほどの大規模なホールは存在しなかったでしょう。リチャード2世は、ハンマービーム工法で屋根を作り直しました。ハンマービーム屋根は中世の木工技術を象徴しています。

宮殿の隣には、埋葬されることを望んだ最後のアングロ・サクソン王であるエドワード懺悔王によって、修道院の建設が始められました。これが文字通り、ウェストミンスター寺院でした。バイユーのタペストリーには、1066年のイングランド征服王ウィリアムの侵攻の記録が描かれており、石工が2つの建物の間を渡って、最後の仕上げとなる風見鶏を立てる様子が描かれています。エドワード懺悔王は聖人であり、国王でもありました。ヘンリー3世がウェストミンスター寺院を王政の防御手段として再建した理由のひとつは、ヘンリー2世のかつての友人であり、後に敵対者となった聖トマス・ベケットを崇拝する人々が、巡礼者としてカンタベリーに多く訪れるようになったためでした。

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セントジェームズ宮殿は当初、君主がリトリートする狩猟用の別荘として使用されていました。その隣には、セント・ジェームズ・パークがあり、かつての鹿狩り場を思い出させます。チャールズ2世と弟のヨーク公(後のジェームズ2世)は、そこで犬たちに囲まれる姿がよく目撃されていました。1661年、チャールズ2世は「私が初めてスポーツを観戦したのは、ヨーク公がペルメルをする姿だ」と述べています。ペルメルは、紳士クラブの中心地である現代のパル・マル通りの名前の由来となりました。現在のトラファルガー広場は、今とは異なるスポーツがかつて繰り広げられていた舞台でした。そこはロイヤル・ミューズ、つまり、初期の王たちが馬や鷹を飼育していた王室専用の厩舎があった場所でした。

ホワイトホール宮殿の裏手、テムズ川の河岸には、素晴らしい「イン」が並んでいました。裕福な大司教や高位聖職者が宮廷を訪問する際に利用できるよう建てられたものです。その多くは、チューダー朝時代に、国の最も有力な貴族の手に渡りました。イングランドの摂政であり、国王エドワード6世の代理として国を治めていたサマセット公は、失脚して処刑されるまで、自分の名を冠したサマセット・ハウスに住んでいました。サマセット・ハウスは伝統的に英国女王の私有地となりました。最後にそこに住んだのは、チャールズ1世の未亡人、ヘンリエッタ・マリアでした。夫が処刑された後、彼女は24人の使用人を従えて王政復古期に戻ってきました。フランス人である彼女は、使用人に金色の太陽の紋章だけが施された長い黒いベルベットのキャソックを着せました。上品ですね。

ホワイトホール宮殿の敷地自体と同様に、これらの壮麗な邸宅は、宮廷が西のケンジントンに移転した後も、当初の使い方とは違う形で使用されていました。一部は住宅街として再開発されましたが、その際、往年の著名な住人の名前が通りの名前として残されることがよくありました。例えば、強大な権力を誇ったバッキンガム公チャールズ・ヴィリアーズの名は、チャールズ・ストリート、ヴィリアーズ・ストリート、デューク・ストリート、バッキンガム・ストリートに残っています。残念ながら、かつて存在したOf Alley(オブ・アレイ)という呼び方はもう残っていません。王が所有していたものは、文官に分配されました。これはサマセット・ハウスも同様で、サー・ウィリアム・チェンバーズがデザインする、英国海軍およびその他の政府機関のための最高にエレガントなオフィスとして建設が開始されました。現在は、コートールド・ギャラリー、および、ダンスカンパニーや英国ファッション協議会など120以上のクリエイティブな組織の本拠地となっています。

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The OWOが建つ敷地も同じような経緯で変貌を遂げています。かつて陸軍省が使用していたオフィスは、不便なだけでなく、命にかかわる可能性があることが判明しました。というのも、著名な役人たちがそこで腸チフスにかかり死亡していたからです。そこで、新しい建物を建てる用地としてホワイトホールが選ばれました。ホワイトホールは、当時まだ、国有林を管理する林業局に所有権がありました。将軍や行政官が1906年に所有権を取得しましたが、100年以上留まることはありませんでした。そして2023年、Raffles London at The OWOというホテルとして華々しくオープンしたのです。残りは、よく言われるように、歴史に満ち溢れています。

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クライヴがお届けするロンドンの隠れた名所

私が厳選したロンドンの他の魅力を、皆さんにお楽しみいただければ幸いです。ここからは、旧陸軍省から徒歩圏内の観光スポット20選をご紹介します。もしかしたら、そのどこかでお目にかかれるかもしれませんね。すてきな散策時間をお過ごしください!

地下鉄アルドウィッチ駅

かつてはストランドと呼ばれていたこの駅は、今はどこの支線にもつながっておらず、あまり知られていませんが、完全な形のまま残る歴史的な駅です。1907年に開業したこの地下鉄は、劇場に向かう乗客のために、ストランド通り沿いを走る馬車への負担を軽減するために設計されました。ルビー色に輝くテラコッタの外観はレスリー・グリーンによるデザイン。内装は芸術品や工芸品が華やかさを醸し出しています。駅のホームは1917年に閉鎖されましたが、それ以来、映画製作者たちの定番の撮影スポットとなり、『007/ダイ・アナザー・デイ』、『つぐない』、『ザ・クレイズ/冷血の絆』、『SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁』などの映画に登場しています。

ベリー・ブラザーズ&ラッド

セントジェームズにあるワイン商社で、その店の歴史は17世紀まで遡ります。見かけの控えめなサイズに惑わされないでください。その下には、店舗の地上部分の面積をはるかに超える2エーカーの広さの地下室があります。2階には、男性(あるいは女性)を量ることができる巨大な秤があり、販売台帳には有名な伊達男ブランメルも名を連ねています。

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アルジェリアンコーヒーストア

1887年に創業した歴史あるコーヒーショップで、80種類以上のコーヒーと120種類以上の紅茶を取り揃えています。赤い郵便ポストのような形の店舗は、今でも一族が所有しています。店内には、19世紀から使われている正真正銘のカウンター、棚、看板があり、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。

ジェームズスミス&サンズ

傘とステッキを扱うお店。サヴィル・ロウが最高級テーラーメイドで有名なように、ここは有名な傘屋です。1880年まで遡ると、店は丁寧に改装されました。その幅広い品揃えを持つ傘は、地下にある自社工房で生産されています。傘が裏返しになる悩みも、解消します!

カウンティ・ホール

現在、カウンティ・ホールは、ほとんどの部分がホテルとして使用されています。しかし、八角形の形をした評議会会議場は現代の生活から隔離された場所で、完璧な状態で保存されています。座席が200席あるこのゲストルームは、大陸から取り寄せた黒大理石と緑大理石で贅沢に装飾されています。

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ロイヤル・オートモビル・クラブ

The Ritzを設計した建築家がデザインしたパル・メルにあるロイヤル・オートモビル・クラブ(RAC)には、独自のライフル射撃場、屋内プール、トルコ風呂があります。フランス人職人の手によるパリのスタイルで、別の旧戦争省庁舎であるカンバーランドハウスの跡地に建てられました。

ヘンリー8世のワインセラー

1698年に焼失した、チューダー朝とスチュアート朝の主な王宮であったホワイトホール宮殿の面影を残す、数少ない建造物です。このワインセラーは国防省の管轄下で現存していますが、上部に国防省の新庁舎を建設する際に再開発から守るため、メアリー女王(1867~1953年)の要請により、水平方向3メートル、下方向6メートルの位置に移動され、鋼鉄とコンクリートで覆われました。

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英国王立研究所

科学的好奇心を満たしてくれる場所をお探しであれば、もう他に探す必要はありません。電磁気学に関する発見がなされた場所である、マイケル・ファラデーの研究室は、この地下1階に保存されています。また、19世紀の日本の壁紙やオリジナルの実演用の机が残るシアターは、21世紀でも快適に過ごせるよう丁寧に改装されました。

L. Cornelissen & Son(エル・コーネリッセン・アンド・サン)

ハリーポッターに登場するオリバンダーの杖屋さんではありませんが、それに近いものです。1855年より営業を続けている、大英博物館からすぐの場所にあるこの店には、ビクトリア朝時代の調度品がそのまま残されており、芸術家たちを惹きつけています。名作を創るために必要なものは、こちらで何でも手に入ります。

ジオ・F・トランパー

店内がガラスケースと個々のマホガニー製ブースで埋め尽くされたこのお店は、今では珍しくなった紳士用理髪店です。1912年に建てられたカーゾン・ストリートにあるこのエレガントなメイフェアの施設は、過ぎ去りし時代の面影を残しながら、今日まで理髪店としての機能を果たし続けています。

In and Out Club(イン・アンド・アウト・クラブ)

正式名称は「海軍・軍人クラブ」で、この施設は1862年に英国の海軍、海兵隊、陸軍、空軍の士官たちのために用意されたロンドンの快適な居住地として誕生しました。「In and Out(イン・アンド・アウト)」という愛称は、以前のクラブ本部であったケンブリッジ・ハウス(所在地:ピカデリー94番地)の車寄せに由来するもので、セント・ジェームズ・スクエア4番地の新クラブハウスにも引き継がれています。かつての会員には、T.E.ローレンスやジェームズ・ボンドの生みの親であるイアン・フレミングなどがいます。

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マールバラハウス

この建物は、1711年に初代マールバラ公夫人サラ・チャーチルのために建てられ、住居兼王宮として使用されてきました。1959年、エリザベス女王の要請により、英連邦の本部となりました。その最大の魅力は、ウィリアム・チェンバーズが一部改装を手掛けた贅沢な内装にあります。

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ジョン・ロブ

故ダイアナ妃やフランク・シナトラも顧客に名を連ねる高級靴メーカーです。オックスフォードシューズやブローグシューズ、素材もカーフやオーストリッチなど、高品質な靴は決して安価ではありませんが、こちらで購入できます。1足4,000ポンドもする靴もあり、製作には最長6か月を要します。

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英国自由クラブ

1887年に「英国の大都市で最も堂々としたクラブハウス」と称賛されたこのクラブは、首相のW.E.グラッドストンによって設立されました。会員でないと立ち入り範囲に制限がありますが、ルネサンス・リバイバル様式でロンドン自然史博物館の設計を手掛けた建築家アルフレッド・ウォーターハウスによるその建造物の外観は圧巻です。ジェームズ・ボンドの映画『007 スカイフォール』からマーベルの『ドクター・ストレンジ』まで、さまざまな映画で取り上げられています。

リージェント ストリート シネマ

今では独立したこのアールデコ調の映画館は、見た目以上に長い歴史があります。観客席の丸天井の上に隠されているのは、1848年に鋳造された鉄製の屋根です。初期の上映は、現在の鮮明な投影とはかけ離れたものでした。マジック・ランタンによる投影は、ディケンズの『憑かれた男』などのライブパフォーマンスとの組み合わせによって、ビクトリア朝時代の観客に大いに喜ばれました。

ザ・ウォルズリー

1921年に自動車メーカーウーズレーのショールームとして建てられたこの建物は、フィレンツェ様式のアーチ型天井の白と、黒と白の大理石の床に置かれた中国の黒漆塗りの家具が印象的な組み合わせとなっています。この建物は、約80年にわたりバークレイズ銀行のショーケースとして使用された後、2003年にレストラン「ザ・ウォルズリー」として改装されました。

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ウェストミンスター大聖堂

ウェストミンスター大聖堂は、有名な隣の大聖堂から15分もかからない距離にあり、イタリアのネオ・ビザンチン様式の鮮やかな紅白の帯状の外観が非常に特徴的な建物です。1850年に建てられた鐘楼からは、ロンドン屈指の素晴らしい眺めを楽しむことができます。

ウェストミンスター・スクール

ウェストミンスター寺院の一部で、世界遺産に登録されているこの学校は、紀元後1090~1100年の間にベネディクト修道院の寮の一部を利用して建てられました。カレッジホールは、完全な中世の食堂として今も残っており、現在は「リフェクトリー」と呼ばれています。また、17世紀に建てられた2つのライブラリー、ブッシュビー博士の図書館とアッシュバーナム・ハウスもぜひ注目してください。卒業生には、セント・ポール大聖堂の設計者クリストファー・レンや、『くまのプーさん』の作者A.A.ミルンなどがいます。  学校が休校している期間には、一般の方を対象に、歴史的建造物の見学ツアーをアレンジすることもできます。 

作家であり歴史家のクライヴ・アスレットは、ケンブリッジ大学建築学部の客員教授であり、『The OWO』の共著者でもあります。彼の最新刊『Sir Edwin Lutyens: Britain’s Greatest Architect?(サー・エドウィン・ラッチェンス:英国最高の建築家?)』(Triglyph Books)は、2024年5月に出版されました。

写真:Dan Welldon(ダン・ウェルドン)
追加調査:Rebecca Lilley(レベッカ・リリー)

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